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なぜ、あの優秀な歯科衛生士は辞めてしまったのか?

院長室のデスクに、ぽつんと置かれた一通の白い封筒。

そこに書かれていたのは、医院のエースとして誰もが認める、あの歯科衛生士の名前でした。

患者さんからの信頼も厚く、難しい症例も安心して任せられる。これからの医院を共に背負ってくれると信じて疑わなかったスタッフからの退職届。

「給与か?人間関係か?何か不満でもあったのだろうか…?」

心当たりを探しても明確な答えは見つからない。面談で尋ねても当たり障りのない理由が語られるだけ。

きっと、多くの院長先生が一度はこんな経験をお持ちなのではないかと思います。

実は、優秀で責任感の強いスタッフほど、本当の退職理由を語ることはありません。その胸の内には、院長が気づかぬうちに降り積もっていた、無数の「小さな失望」が隠されているのです。

そしてそれこそが、優秀な人材を医院から遠ざけてしまう、本当の原因なのかもしれません。

見過ごされがちな「やりがいの搾取」

少し、想像してみてください。

とある歯科衛生士は、患者さん一人ひとりの生活背景まで想像し、丁寧な保健指導をすることが信条です。しかし、予約が詰まり、タイマーを気にしながらのSRPが続きます。

「本当は、もう少し食生活の話も聞いてあげたい」「このブラッシングの癖、次のアポイントまでに直してあげたいのに…」。そんな思いを飲み込み、次の患者さんのために話を切り上げなければなりません。

いつしか、誇りだった仕事が決められた時間内にタスクをこなすだけの「作業」に感じられてしまう。そんな日々が続いたら、彼女の心はどうなってしまうでしょうか。

また、別の歯科衛生士はスキルアップのために外部の研修参加を願い出ました。

しかし、院長から返ってきたのは、「費用もかかるし、あなたが抜けると他のスタッフに負担がかかるから、今回は見送ってくれないか」という、あまりにも寂しい答えでした。

経営者である院長先生の視点から見れば、それは「仕方ない」判断だったかもしれません。けれど、彼女にはその言葉が「あなたの成長より、目先のコストや人員配置の方が大事だ」と告げられたように聞こえてしまったのです。

プロとしての純粋な向上心を、ないがしろにされたような、寂しい気持ちになったことでしょう。

「言っても無駄だ」と心が閉じていく瞬間

もちろん、院長先生がスタッフ一人ひとりの気持ちをすべて汲み取るのは、至難の業です。経営という大きな責任を背負い、日々判断に追われていることも重々承知しています。

しかし、働く彼女たちは、「院長なら、きっとこの気持ちを分かってくれるはず」と、心のどこかで期待しているのです。

その小さな期待が裏切られたとき、彼女たちは「忙しいから仕方ない」「経営を考えれば当然だ」と、一度は自分を納得させようとします。ですが、それが何度も繰り返されると、どうなるでしょうか。

感謝の言葉よりも、小さなミスへの指摘が多い毎日。頑張りを認めてもらう機会よりも「できて当たり前」という空気が漂う環境では、自己肯定感はすり減っていきます。

やがて、「尊重されていない」「自分の成長を応援してはくれない」「この医院では、自分のやりたいことは実現できない」「もう、言っても無駄だ」と、静かに心を閉ざしていくのです。

プロとしての誇りが少しずつ削がれていき、心のコップから水が静かに溢れ出したとき、彼女たちは退職を決意します。

その時、本当の理由は語られません。

「結婚」や「家族の介護」といった、誰もが納得し、引き止められない「円満退社」という仮面の下に、語られることのなかった無数の心の擦り傷が隠されているのです。

医院を共に創る「パートナー」として捉え直す

もし、この記事を読んで、胸にチクリと痛むものを感じたなら、少しだけ思い出してみてほしいのです。院長先生ご自身が勤務医だった頃、同じような無力感や歯がゆさを感じたことはありませんでしたか?

「もっと患者さんのためにこうしたいのに」

「院長は、現場のことを分かってくれない」

そう感じた経験が一度はあったのではないでしょうか。

「経営者」という立場は、いつしか重い鎧を着せ、現場のスタッフが発する小さな声を聞き取る耳を知らず知らずのうちに塞いでしまうのかもしれません。

だからこそ、今一度、視点を変えてみませんか。

スタッフを人件費という「コスト」や、指示通りに動く「駒」として見るのではなく、医院を共に創る「パートナー」として捉え直すのです。

何も、大げさなことを始める必要はありません。

日々の業務報告だけでなく、彼女たちが仕事の中で何を感じ、何を大切にし、どんなことに挑戦したいと思っているのか。月に一度、たった10分でもいい。一対一で真摯に耳を傾ける時間を作ってみてください。

スタッフからの小さな改善提案に、「でも…」と返す前に、「なるほど、面白いね。ありがとう」と、まずは感謝と敬意を示してみてください。

優秀な人材が「この医院で働き続けたい」と心から思う理由。それは、高額な報酬や最新の設備だけではないのです。

自分の仕事に誇りを持ち、「院長は自分を尊重してくれている」と日々実感できること。自分の成長が医院の成長に繋がっていると感じられること。この安心感と信頼感こそがスタッフの定着率を高め、チームとしての練度を上げていくでしょう。

明日、スタッフの顔を見たら、まずはこう伝えてみてください。

「いつも、本当にありがとう」

その一言から生まれる温かい信頼関係が、医院と院長先生ご自身の未来を豊かにしてくれるはずです。